昨晩の疲れも、
一眠りすると全快している。
今日はスイス滞在の最終日であり、
ジュネーヴ市内を散策したあと、
夕方の鉄道に乗ってパリに戻る予定である。
ジュネーヴを散策するといっても
事前の知識も持ち合わせていないので、
友人に案内してもらう。
まずは宗教改革記念碑を見る。

カルヴァンがジュネーヴで独自の宗教改革を行ったという話は
世界史でも出てきたので、感慨深い。


カテドラルから見たジュネーヴ市内。
古い町並みが並ぶ地域と、
近代的な建物が並ぶ地域があり、
ちょうど境目に昔の城壁が残っている。
つまり、カテドラルや旧市庁舎といった伝統的な建物は城壁の内側に存在し、
それ以外の近代的な建物は以後の歴史で建てられたものであることをあらわしている。
城壁内の雰囲気は厳かで静かである。

カテドラルから見えるレ・マン湖とjet d’eau(噴水)。


城壁内側の旧市役所周辺には歴史的なモニュメントも多くある。
ジュネーヴはフランスと国境を接し、
また当時から宗教改革で揺れていたため、
たびたび侵略と支配が問題となっていた。
しかし、1602年にカトリックを信望するフランスのサヴォア家の侵略を
義勇軍・市民が一体となって撃退した出来事は、
後にスイス独立へと繋がることになる。
ジュネーヴ市民にとって、
この戦に勝利した12月11日は
エスカラード(梯子)として記念日となっている。
エスカラードとはサヴォア家の取った作戦が元になっている。
彼らはジュネーヴの城壁を一気に梯子で乗り越えようとして失敗したのである。

いつの時代も壁を乗り越えようとする者には困難が待ち受けているものである。
続いてレ・マン湖へと向かう。
レ・マン湖
Jet d’eau。

先ほど、カテドラルから見たJet d’eauを近くで見ることにする。
もちろん、この大噴水はアイスランドの間欠泉のような天然のものではなく、
人工的なものだ。
夏の間はほぼ毎日、
太陽の出ている間は噴水を続けているとのこと。
「けど、前に落雷が落ちてぶっ壊れたこともあるけどね」
友人が笑いながら教えてくれた。

歩を進めるたびに、
しぶきが体に降りかかるが、
夏の暑さには心地が良い。
その後で昼食。

すし屋で舌鼓。
本当にこの人はすしが好きなようで。
「日本のすし屋に行ったらちらし寿司と握り、どっちを頼む人が多いんだ?」
多分、握りじゃないかな。
「握りより、ちらしのほうが色々な種類の具をたくさん食べれる気がするんだけど、
それについてはどう思う?」
そんな他愛もない会話をしながら、箸を進める。
そして、そのままレ・マン湖の遊泳場に向かった。
レ・マン湖で泳ぐのだ。
入場料を払うと、レ・マン湖の一部を区画した遊泳場に入ることができ、
さながらプールのように活気付いている。

水は冷たく、水深も深いがとても気持ちよい。

高さ10mの飛び込み台もあり、
2回ほど挑戦したが衝撃は凄まじいものだった。
自分には飛び降り自殺は絶対に出来ないことが分かっただけでも
10mの飛び込み台に挑戦した価値はあった。

やがて、時間になりパリに戻ることになる。
駅まで見送りをしてもらった。
「次は、日本に来てみるかい?」
「そうだね、でもいつになることやら」
「そんなこと言うなよ。もう二度と会えないみたいだな」
「はは」
「ともかく、ありがとう。スイスも、そしてこのジュネーヴもとても楽しかったよ」
「こちらこそありがとう」
そういって握手をしたところで、目に涙が浮かんでしまった。
悟られないように、早足で税関をくぐりぬけて列車に乗り込む。
帰りの列車でまた一眠りしながら感傷的な気分をかみ締めていた。
行きと同じGare de Lyonに到着し、
そのまま友人と合流。
レストランで食事を取りホテルに戻った。
明日は帰国だ。
手ぶらで行くフランス・スイス(2009年8月12日 )~3,454mの世界・ユングフラウを登る
ベルン出発
昨日はいつ頃、眠ったか覚えていない。
友人のアパートに到着し、
シャワーを浴び、
それから横になったり、
写真を見たり、
Coldplayを聞いていたらいつの間にか眠りに付いた。
朝起きると、
朝食として緑茶が用意されていた。

「日本人には濃いのか、
薄いのか分からないけどね」
そう言いながら差し出されたお茶を飲んだ。

身支度を整え、
今からユングフラウに向かう。
ユングフラウとはベルン州にあるアルプス山脈の山で標高は4158mもある。
と言っても大仰な登山装備をして向かうわけではない。
標高3,454mの所までは鉄道が走り、
その付近ならば山を散策することもできるのだ。
駅はユングフラウヨッホといい、
ヨーロッパで一番高いところに位置する鉄道駅として有名である。

まずはベルン駅でユングフラウヨッホまでのチケットを購入する。
ベルン駅から直通電車が出ているわけではないので、
道中何度か乗換えをすることになる。

停車駅としては
Bern
↓
Spiez
↓
Intarlaken Ost
↓
Grindelwald
↓
Kleina Scheidagg
↓
Jungraujoch
と言った感じで、全体で3時間ほどを予定している。

BernからSpiez、Intarlaken Ostに向かう途中の光景。
Intarlakenという名前からInter Lakeを想像してもらうと分かるが、
鉄道が湖に沿って走っている光景が続く。


Grindelwald
ひとまず、第一チェックポイントに見立てられるGrindelwaldに到着。


ユングフラウへ繋がる登山鉄道の始まりとも言える駅だ。
次の電車の出発までかなり時間があったので、
周辺を散策した。



のどかな風景が続く。
おそらく多くの人が抱くスイスに対するイメージが凝縮されている場所。


川の流れは早く、
そして水はとても冷たい。

散策も終わり、
いよいよユングフラウヨッホに向けて鉄道が走り出す。

急勾配の坂道を電車はゆっくりと登っていく。

夏ではあるが、
上に進むにつれて雪が散見されるようになる。




やがて列車はトンネルへと入る。

トンネルを抜けると一面には雪と岩壁がそびえていた。



さあ、ここから我ら一行は、
列車を降り、
ヨーロッパの高峰を歩くのである。

と、その前に昼食。

駅という名のトンネルを抜けると、
一面に雪景色が広がる。
ユングフラウを駆け巡る

私も含め、観光客はみな軽装である。

しかし、そうは言っても3000m以上の場所に居るので、
やはり全速力で走ったりすると
強烈な頭痛や
吐き気に襲われたりもするので注意が必要だ。
また、日差しがとても強く
日焼け止めと
サングラスは
必需品である。
特に一面の白雪が太陽光を更にきついものにするため、
肌にも目にも多くの負担が掛かる。

また、登山ルートから外れるのも危ない。

景色のきれいさについつい奥に行ってしまいがちだが、
クレバスがあったりして非常に危険だ。
ルート通りと進むとやがて建物が見えてくる。

途中何組か登山隊にあったが、
やはり彼らは重装備だった。
ロッジで一休みした後は、
意外と出発までの時間が無いことに気付き、
電車に間に合うために先ほどきたルートを走って戻った。

先ほど、自分が書いた注意そのまんまに、
頭痛と吐き気に襲われ、
何度とぶっ倒れながらも電車に間に合った。

そんなこんなで、今日来たルートを戻っていった。

標高が下がるにつれ、吐き気はおさまったが、頭痛は今しばらく続いている。

これから、ベルンを経由して
友人の本拠地であるジュネーブへと向かう。
道中、何度か電話でおツレさんに連絡しており、
どうやらキチンとしたfonduを用意してくれるそうだ。
ありがたい。
再びジュネーヴへ
ジュネーブに到着する前までに、
頭痛を治したかったので、
薬を飲んで電車で眠ることにした。
が、友人がチェス盤を広げて一局打とうと誘ってきた。
頭痛と薬でボーっとし、ウトウト気分で打っていた。
序盤はお互いにバランスが保たれていたが、
中盤でポーンの鬩ぎ合いに負けた私はそこから総崩れ。
完敗。
もう一回、
ジャック・ピノーの本でも読もう。

そんなこんなでジュネーブに到着し、
fonduを賞味。
今回はキチンと糸も引き、
なおかつ、
ワインとよく混ざっていてとても美味しかった。
その美味しさはというと
写真も撮り忘れるぐらい夢中になったと言えば分かりやすいか。
「夏に2日連続fondu食べたのは初めてだ」
友人が笑いながら呆れていた。
ともかくも
ユングフロウと
本格的なfonduを堪能できた私はご満悦。
ちなみにこの日宿泊できた友人のアパートメントは
学生寮みたいなところで、
台所でみんなで食事していたら何人も出入りしていた、
賑やかだった。
私の部屋はちょうどバカンスに行っている学生の空き部屋を利用させてもらった。
かたじけない。
手ぶらで行くフランス・スイス(2009年8月11日)~ジュネーブにて一年ぶりの再会
パリを出発
朝、目が覚める。
今日は10時のTGVに乗りジュネーブへと向かう。
昨年NZで出会った友人と再会するためだ。
シャワーを浴び、
身支度をして部屋を出る。
食堂でパンと牛乳を朝食に頂き
再び部屋に戻る。
昨晩のうちに用意しておいたバッグを取り、
カードキーをロビーに返却をしてチャックアウトを行う。
TGVの発着駅の一つであるGare de Lyonはこの最寄駅の地下鉄からももちろん行くことはできるのだが、
U字を描くような経路のため時間が掛かってしまう。
私はフロントの女性に聞いてみた。
「Vous connaissez comment on peut aller à la gare de Lyon en bus?(リヨン駅まではバスで行く方法をご存知ですか?)」
「Oui, 57.(ええ、57番バスよ)」
女性は答えながら周辺地図を見せてくれた。
どうやらホテルの近くにあるバス停からリヨン駅に行く便が出ているらしい。
チェックアウトを済ませ、ホテルのインターネットからメールを確認する。
特に追加のお知らせは届いていないことを確認するとバス停へと向かった。

バスから駅まで。

パリの各地域へのターミナル駅は
リヨン駅(Gare de Lyon)の他に、
ノルド駅(Gare de Nord)、
エスト駅(Gare de L’Est)、
モンパルナス駅(Gare de Montparnasse)、
オステルリッツ駅(Gare d’Austerlitz)、
サンラザール駅(Gare de Saint Lazare)が存在する。
ジュネーブに行く際はリヨン駅だ。

11:10発のジュネーヴ行があるホームへと向かう。

ホームの名前はアルファベットで始まるものと、
数字で始まるものがあり、
どちらも場所が異なっているので注意が必要だ。


今回は18番線。
座席に着き、
これから目的地に着くまでの約3時間をどう過ごそうかと考え始めた。

やがて、列車はパリを出発した。

思えばスイスを訪問するのは18歳の時以来だと思う。
少し記憶が曖昧だが、初めてユーレルパスを片手に
フランス、
スイス、
ドイツ、
オーストリアと回った気がする。
まだユーロが流通しておらず、
各国で両替をする度に手数料でみるみるお金が減っていった。
当時は旅の楽しみ方を今ほどには体得していなく、
あまり駅周辺からは離れて移動しなかったり、
予定外の行動をとらないようにしたりと、
行く先々で怯えながら行動していた。
極力アクシデントが起こることを避けていた。
今からその頃を振り返れば、
その青い行動力に恥ずかしくもなるが
その時はその時で精一杯だったのかもしれないと思えば致し方ない。
今は随分と旅の楽しみ方も変わり、
そこから得ることも多彩かつ多量になった。
一番大きいことはフロー(流れ)に身を任せることができるようになったこと、
そしてコミュニケーションの幅が広がったことである。
自分は旅行をした時に
その土地にある名所を見る、
料理を食べる、
人とで会う事以外にも、
旅をしていることそのものが楽しめるようになった。
様々なトラブルがあり、
予定通りうまくいかない、
あるいは驚きの発見がある。
そういったフローの中で、
自分の創意工夫を発揮して、
更に今この瞬間をよきものに変えていく。
そういった行為を楽しんでいるのかもしれない。
つまり、些細なことを気にしなくなったと言えるかもしれない。
宿がなくても何処かしらの国には友人がいるし、
安く宿を見つける方法も分かる。
生活用品がなくても買えば問題ない。
切符の買い方や申請の仕方など各種手続も国によって違えども基本を抑えておけば問題はない。
そんなとりとめも無いことを考えながら、
今もこうして旅のフローに身を任せ、
楽しんでいる自分に気付き穏やかな気持ちになった。
そうして眠りに入った。
そうして15時に列車は到着した。
ジュネーブ到着

久しぶりのスイス。
2回目のスイス。
前回はZurich周辺を散歩した程度の記憶しかない。
ともかく列車を降り待ち合わせ場所へと向かう。
「Genève駅は広いから、
待ち合わせ場所を正確に決めないとすれ違いにならないか?」
と予め聞いておいたが、
友人曰く、
フランスからの降車客が出る出口は一つしかないので、
その前に居れば大丈夫とのこと。
その通り進むと確かに税関があり、
唯一つの出口へと通じていた。
そして、友人が私を待っていた。
NZ以来であるから約1年ぶりの再会である。
「髪伸びたな」
「髪切ったな」
お互いに他愛も無い会話をしながら、
スイス国内用の鉄道券を買うため窓口へと歩を進める。
「ところで」
友人が切り出した。
「フランス語と英語どっちで話しかければいい?
NZの時はフランス語だったけど、
日本に1年も居ればフランス語使う機会は皆無だろうから忘れたんじゃないのか」
「どっちでもいいよ。
強いて言うならフランス語かな。
だけど、そんなこと聞くってことはよっぽど俺のフランス語は下手くそになってきたってことかな」
今日会ったときからフランス語しか使ってなかったが、
英語のほうがよいか聞かれたので笑いながら答えた。
そしてこう続けた。
「パリの列車の窓口でも、
フランス語でチケット購入したんだけど、
最後の返答では英語を返されたぞ。
フランス人が英語を使うことに抵抗をなくしたか、
俺のフランス語がおかしいから我慢して英語を使ってくれたかのどっちかだな」
友人は笑っていた。
窓口で切符を購入し、
そのままBernへと向かった。
ベルンへ直行

友人の居宅はGenèveだが、
大学がBernにあり、
さらに翌日一緒に訪れることになるJungfrauへ行くのもBernからのほうが近いためだ。
車窓からの景色も飽きない。
列車内で他愛も無い話を続け、
やがてBernへと到着した。
友人は駅に直結している彼の大学に案内してくれた。
研究室に一旦荷物を置いて市内を散策しようというわけだ。
まずは大学の屋上からBernを一望させてくれた。


一応スイスの首都だが
高層ビルが乱立したりであるとか、
車と人ごみにまみれているといった雰囲気は皆無だ。
商業的な施設はだいたい
Zurichや
Basel等にあるのと、
環境に対しての意識が高いため、街はとても穏やかで空気も綺麗だ。

とても首都の町並みとは思えないほど緑が豊かである。
写真に流れるアーレ川はやがてライン川へとも繋がる。

川は宝石のように青く、
そして流れも速い。
にもかかわらず遊泳を行う人でにぎわっていた。

環境に配慮してか、
交通もトラムが主流だ。

時計塔と川、そして町並み。

教会。

議会。


街には旗が掲げてある。
スイスの国旗の他に、
Bernをあらわす熊の旗がなびいている。
ここで夕食をとる。
「Bernじゃあまり外食はしないけど、
観光客用にスイス料理を提供するレストランはあるからそこにしようか」
と友人が言ったので
広場にあるレストランを選んだ。
そこでスイス料理である
ロスティと、
チーズ・フォンデュを注文した。
ロスティはrostiと書き、
平たく言えばジャガイモ料理。
チーズ・フォンデュは日本でも有名で、
こちらでは単にfonduと言っている。

左がrost、
右がfondu
「本当は夏にfonduなんて食べたくないんだけどね」
友人は笑いながらチーズ・フォンデュの解説を始めた。
「良いfonduというのは、
白ワインとチーズがよく融合しており、
こうやってパンをつけると糸を引くんだぜ」
と私に食べ方を説明してくれたが

写真の通り、
チーズは糸を引かなかった。
「これは良くないね」
友人は笑いながら続けた。
「おいしいfonduはここでチーズの糸が出てくる。
それに食べてみたけど、
ワインとチーズは良く交じり合っていないね。
ワインの味が強すぎる」
rostiの方は問題なかった。
素朴な料理だ。
「明日、Genèveに戻ったら、
ちゃんとしたfonduをご馳走するよ」
そう言ってレストランを後にした。
友人が借りている大学近くのアパートに戻り、
就寝した。
手ぶらで行くフランス・スイス(2009年8月10日)~パリの足跡を再び
昔の学校へ行ってみる
朝。
目が覚めるも
ベッドの中でまどろんでいる。
iPhoneにセットしたアラームが鳴り、
Chet Bakerの
My Funny Valentineが流れ出す。
卓越したトランペットの腕だけでなく、
美男で女性的なボーカルもこなせるChet Bakerは
1950年代のjazzにおいて
絶大な人気をほこっていた。
しかし他の多くのミュージシャンのように
ドラッグに溺れ没落し、
最後はアムステルダムのホテルから転落して死んだ。
ここフランスでもChet Bakerは人気があり、
彼の命日などにはニュースで流れることもある。
数年前に訪れたときも、
同じく朝、
横になりながらテレビを見ていると
テレビからMy Funny Valentineの甘い歌声が流れ出し、
ニュースキャスターが淡々と彼の半生を伝えていた。
このまま眠っていてもしょうがないので、
ベッドから起き上がり、
共同シャワーで汗を洗い流した。
タオルと
石鹸、
かみそりは
昨日、ホテルに行く途中のスーパーで購入したものだ。
シャワーから上がり、
ホテルのロビーで購入したTシャツに着替えた。
灰色に子供向けのイラストが描いてある何とも愛嬌のあるTシャツだ。
自分に合うサイズは1つしかなく、
柄も選べなかったのでしょうがない。

部屋を出て食堂に向かう。
Porte de Bagnoletにあるユースホステルは
今までのユースホステルとは違い、
食事が付いてくる。
と言っても、
バゲットや
牛乳、
フレークや
チーズが並んでいるだけの
簡素なものだが。
とりあえず
牛乳と
バゲットを頂きながら
今日一日の予定を考えていた。
明日、スイスに行くが
今日は特に何をする予定もない。
夜に、再度昨日訪れた知人に会う必要があるぐらいで
日中の時間は完全にフリーだ。
このまま部屋に戻りダラダラと過ごし
惰眠を貪るのもよい。
しかし、
昨日、パリの地下鉄の路線図を眺めながら
ふと昔を思い出した。
Porte de Bagnoletは地下鉄の3番線に当たり、
RépubliqueやSaint-Lazzareと言った大きな駅も通過する路線である。

何処に行こうかとあみだくじのように線路を辿っていると
Républiqueを通る8番線に
La Motte-Picquet-Grenelleという駅を見つけた。
ここの駅近くにある学校に通っていた記憶がある。
確か2度目か3度目かにパリを訪問した時の事だと思う。
ちょうど1ヶ月近い滞在だったので、
好奇心から現地の語学学校へ通ってみた。
パリにある誰でも入学できる学校なので、
日本人も多いだろうと思っていたが、
自分の入ったクラスは1名しか居なかった。
学校で知り合ったエストニア、
ドイツ、
デンマークの女性と
ランチに行ったりした事は覚えていたが、
授業でどんなことをしていたかは
すっかり忘れてしまっていた。
ただ、フランス語は何とか使えているので、
もしかしたらその時に勉強したことは
活きているのかもしれない。
あれから数年の月日が流れた。
もしそこへ訪れても
知っている人は一人も居ないかもしれない。
しかし、久しぶりにその駅名を思い出したことで
私はどうしても訪れたい衝動に駆られた。
朝食を済ませ、
ホテルを出発した。

3番線にのり
Républiqueで8番線に乗り換えて
La Motte-Picquet-Grenelleで降車した。

昔通っていたときは確か6番線からだったので、
この駅を使うのはおそらく初めてだと思う。
駅を出ても、
バカンスのせいか街は閑散としている。
学校帰りによく立ち寄って
フレンチ・ポテトを食べていたレストランを見つけたが
あいにく閉まっていた。
学校のある建物に到着し、
外観を見てあることに気付く。
看板が無い。
変わりに
「Fédération Française de Football(フランスサッカー協会)」
と掲げられている。
中に入り、
受付の女性に質問してみた。
「Je pense qu’il y avait une école de langue française.(フランス語の学校があったと思うんだけど)」
女性は微笑みながら
慣れた対応で返答した。
「Ils sont allés quelque part il y a 3 ans et nous ne connaissons pas où (3年前にどこかへ行きましたが、私たちには分かりません)」

「OK, merci」
とだけ伝えて建物を後にした。
やっきになって探せば何らかの情報は見つかるだろう。
学校の名前をネットで検索すれば
案外すんなり発見できるかもしれない。
しかし、これで十分だ。
かつての思い出がここにある。
その思い出を形作ったものはもうない。
それが分かっただけで満足だ。
そのままLa Motte-Picquet-Grenelleを発った。

トラムに乗ってみる
帰りの6番線のうちLa Motte-Picquet-Grenelleの周辺は地上駅であり、
パリの風景を見ながら移動することができる。

今日の予定はあっという間に片付いてしまったので、
とりあえずPorte d’Orléansに行き
トラムに乗ってみることにした。
最後に訪れた時にはパリにトラムは走っていなかった。
パリにはレンタル自転車を利用する人の姿も多く見かけるので
流行のエコに乗っているのかなとも思った。

まあ、そんなことはどうでもいいか。
とりあえずトラムに乗ってみた。

乗車券はバスやメトロと同じものが使用できるが、
メトロと違い、
乗り換えという概念がないため利用性は薄い。

まだ、パリ市内にも3本ほどしか開通しておらず、
それぞれ平行して市内を横断しているため、
どうにも使い勝手が悪いと感じた。

ひとまず終着駅で降りて、
またメトロに乗り市内を散策した。

7月1日よりT.V.A(Taxe sur la valeur ajoutée:消費税)のパーセンテージが下げられたのに伴い、
市内では多くのレストランが値下げをアピールしていた。

しばらく、散策や買い物を続けた後、
昨日の知人に会い、
夜はトルコ料理を食べた。
フランスに来たと言うのに
レバノン料理や
トルコ料理など、
フレンチ以外の料理を食べているのはなんとも自分らしいと思った。
明日はスイスへ
ホテルに戻り明日のスイス行きの準備をした。
準備と行っても
今回日本から持ってきた荷物は皆無に等しかった。
ただ、日中インターネットカフェで確認したスイス人からのメールによると、
ウィンドブレーカー、水着などがあると
よりよい旅行になると書いてあった。
スーパーマーケットに立ち寄り
ウィンドブレーカー、
水着を揃え、
知人に借りたリュックに詰め込んでいた。
そのとき相部屋の青年が話しかけてきた。
「あの…。日本人の方ですか?」
ユースホステルのドミトリー(相部屋)なので
部屋に誰か居ることは知っていた。
部屋に入ったときに東洋人風の人が居る程度にしか思わなかった。
こういう場合は
相手が誰であれ
「Hi」
とか
「Hello」
とか軽く挨拶しておけばよい。
今回も同じように、
「Hi」
と挨拶をして、
自分のベッドに行き荷物整理をしていた所、
いきなり日本語で話しかけられたので、
思わず青年と目を合わせた。
「はい、日本人ですよ。よく分かりましたね。」
「え、いえ…。成田空港の買い物袋があったので。」
知人のお土産にと空港内の免税店で買い物したことを思い出した。
「旅行ですか?」
私は無難な質問をした。
「ええ、今回初めてのヨーロッパなのです。
フランス、
ドイツと鉄道で回ろうかと思っています。
その前にパリの観光をしたくて暫くここに滞在する予定です」
青年は大きなキャリーバッグを全開にして、
沢山の荷物の中から
タオルや
着替えを探していた。
中にはノートパソコンも見えた。
その重装備から彼が初めてヨーロッパに旅行に来たことは明白であった。
きっと大学生なのだろう。
「ご旅行ですか?」
青年も質問を返してきた。
「いえ、知人に会いに来たのです。
でも明日ここを発ってスイスに行きますけどね」
「荷物はリュックだけですか。
他に見当たらないですけど」
青年が心配そうなトーンで更に質問を重ねた。
もしかしたら盗まれたのかと思っているのかもしれない。
「荷物は最初からないですよ。
今回は手ぶらで来ました。
このリュックも中身も現地でそろえたものです」
「そうですか…はぁ」
それから鉄道のチケットは旅行代理店を通すと手数料が高いといった他愛も無い話をした。
お互いに名前は名乗らずに。
私は荷造りが終わったので、
先に寝る旨を伝え横になった。
こうして一日が終わった。
手ぶらで行くフランス・スイス(2009年8月9日)~上海からパリへ
パリへ出発
2時間の遅延が発生。
日付も変わってようやく搭乗が始まり
機内へと乗り込んだ。
ここからフランスへの13時間に及ぶ長いフライトが始まる。

朝食として提供された機内食。

パリへ到着
そして、
パリ・シャルル・ドゴール空港へと到着。

飛行機を降りるなり、
あのフランスの懐かしい匂いがしてきた。
香水だろう。

預けた荷物もないので、
入国手続きを済ませた後は
ダイレクトに出口へ行くことができる。
ようやくここからパリへと向かうことになる。
空港からパリへと向かう方法は、
電車、
タクシー、
バスとあるが、
今回はその中でも安い部類である電車、
RER(Réseau express regional:地域高速鉄道網)を利用することにした。
RERの標識を頼りに、
改札窓口へと向かう。

切符券売機があるので、
空港~パリ行きの乗車券を買う。
クレジットカードも使える。

切符と領収書が発券される。
価格は8.7euroで
当日のレートで言えば1200円程度。

予約しておいたスイスへの鉄道券を購入
RERに乗車する前に
今回のもうひとつの目的であるスイスに向かうためのTGV(Train à Grande Vitesse:高速列車)のチケットを受け取りに
SNCF(Société Nationale des Chemins de fer Français: フランス国有鉄道)の窓口へと向かう。

今回はParis~Genèveの往復チケットを
SNCFのサイトhttp://www.voyages-sncf.com/から予約した。

出発地と目的地、
それと希望日等を入力すれば空席を検索、
予約することができる。
フランス語で予約ができるので簡単だし、
一応欧州の各言語での表示も揃っている。
ネットで予約した時に発行される確認書を事前に印刷しておいたので、
窓口の人に渡した。
「J’ai réservé des tickets sur l’internet. C’est la confirmation.(ネットでチケットを予約しました。これが確認証です。)」
「Oui.(はい)」
あっという間にチケットが発券され受領することができた。
「Thank you.」後ろで窓口のお姉さんが挨拶で見送った。

思えば、学生の時に鉄道旅行したときは
トーマス・クック(時刻表)を片手に、
この列車は空いているか?
別の出発便はあるか?
とかいうやり取りを窓口でしながら
パスポートを見せたりしてチケットを入手していた。
それに比べると便利になったな。
RERに乗ってパリへ
RERに乗ってパリへと向かうことにする。
まずは改札を通りB線に向かう。



朝の6時7時なので、
先ほどの窓口も、
電車内も空いており快適だ。
夏のパリは思ったより暑いが
湿度が無い分、
東京よりも大分過ごしやすい。
思えば8月にヨーロッパを訪問するのは
これが初めてかもしれない。
B線の停車駅。
Saint-Michel Notre-Dameなどのパリの主要駅に停まる。

郊外からパリへ向かう途中の車窓。
この辺りの風景はいつもと変わらない。

今日は、まず人に会う用事を済ませるため、
ホテルではなく地下鉄4番線のPorte d’Orléansへと向かうことにした。
そのため、
4番線と交差するDenfert-Rochereauで降車した。


ここの雰囲気は前と全く変わらない。
メトロに乗りPorte d’Orléansに到着。

バカンスの時期で人が居ない上に、
朝も早いので市内は閑散としている。

とりあえず、手持ちの現金がなく、
クレジットカードだけなのは心細いので
100euroほどATMより引き出す。

さて、ここからバスに乗り目的地へ向かうのだが、
ここで5年前に積み降ろし忘れた荷物を降ろすことにした。
その荷物とは切符である。

5年前にパリに来たときに購入した余りである。
日本に帰ってからずっと残っているのが気がかりであった。
ようやくここで使うことができるチャンスが巡って来た。
切符にとってもパリに戻ってきたのだし、
私としても積み降ろし忘れた荷物を降ろすことができて満足だ。
気がかりなのは5年前の切符が
まだ有効であるかどうかということだけだが。
バスに乗り、
認証機に入れたところ打刻された。

どうやら問題なく使えるらしい。
これで5年間の気がかりが一つ消えた。
これだけでもパリに来た甲斐があったかもしれない。
知人にも会い、
パリ市内で昼食を取ることにした。

今回はレバノン料理に舌鼓。

食後、市内を散策。
セーヌ川に夏の間だけ催される人口砂浜
Paris Plageを見に行った。




そんなこんなで、
知人と別れホテルへと向かう。
もう時間は21時であるが
こちらはまだまだ日が照っており明るい。
しかし、時差ボケと長旅の疲れもあり就寝することにした。

今回宿泊したPorte de Bagnoletのauberge de jeunesse(ユースホステル)。
ドミトリーで食事が付いて一泊23euro。